懇親会での大榎克己さん(36回生)の講演要旨とプログラムにあった勝沢要先生の寄稿を32回生、清水東高勤務の西野宏治先生が学年通信「なかま」(2017年11月8日発行)用にまとめられたものを転載させていただきました。

大榎克己さん講演録

大榎克己

「我々3羽ガラスは、高校卒業後、健太は筑波大から日産、堀池は順天堂大から読売、自分は早稲田からヤマハとそれぞれ別々の道を歩んでいた1991年Jリーグ発足の際、地元清水にサッカーチームができると聞き、1も2もなく我々3人は駆けつけた。」

「勝沢先生は、全国の強豪と呼ばれるチームの中にはサッカーだけやっているチームが多い。しかし君たちはここ清高で文武両道を目指して頑張っている。絶対にサッカーだけやっているチームに負けるわけにはいかない!」

「全国に、サッカーの強いチームは山ほどあるが、ガンバ大阪の長谷川健太監督、FC岐阜の大木武監督、松本山雅の反町康治監督、FC町田の相馬直樹監督など、これほど多くのサッカー指導者を輩出している学校は他にはない! すべてここにいらっしゃる勝沢先生の御指導のおかげです。」

「僕たちの代にはクボケン(久保田健氏:東大薬学部大学院卒、アステラス製薬勤務がいた。彼はサッカー部に所属し、誰よりも早く学校に来て朝練をしながら、東大に現役合格した。彼に聞いてみると「家に帰ってテレビは見ない」と答えた。テスト前になると我々に『ここは重要! テストに出る』と教えてくれた。彼こそが見事な文武両道だった。」

「私は少し前、エスパルスの監督を引き受けた。残念ながら結果を残すことはできなかったが、その時私に監督の依頼をしたのは清高の先輩だった。当時エスパルスは成績不振で厳しい状況だった。私は人生の選択を迫られたとき、心臓がどきどきするような方を選ぶようにしている。その時もそうだった。どきどきするような方を選ぶと自分の世界が広がっていく。」

勝沢要先生「燃え尽きるまでRUN」

懇親会のパンフレット~当時の清高新聞(昭和58年3月14日発行)~に寄稿された文章

「全国高校サッカー選手権大会は、3年生を1月まで追い込むことの苦しさや、進学校なるが故のハンディキャップから過去2回、いずれも下級生主体のメンバー編成でのぞんで準優勝に終わった。しかし今年は3年生が主役であった。結果的には今年の3年生は6回の全国大会出場のチャンスに、4回の全国大会出場を果たし、3回の全国優勝と1回の準優勝という、本校のサッカー部史上最も輝かしい戦績を残すことができた。

一人ひとりが全く異質の個性を持ち、それがチームとして統合された時に、それは恐ろしいほどの速さ、積極的な攻撃力となり、相手にほとんど仕事をさせないで前で勝負する積極的守備となって、相手を圧倒した, 55年度のヨーロッパ遠征で得た教訓「サッカーとは格闘技である」をモットーに選手全員自分たちの持っている技術に溺れる事なく、苦しい時に身体を張ってボールを奪い、ゴールを襲い、ゴールを守る力強さ、強靱な精神力、戦う意図の知的統一が今年のチームの最大の特色であった。

 高校スポーツが私立高校や一部の実業高校の専有物になっている現状の中で、進学の波に押し流されず、歯を食いしばって立つ1本の杭の自覚を持って、選手はこういう時にこそ、謙虚になり、感謝の気持ちを忘れず、困難な「文武両道」の課題に取り組んでいってほしい。3年生の残してくれた精神的遺産は常に一瞬一瞬を大切にして完全燃焼することの大切さであった。それがサッカーにとどまらずありとあらゆるこれからの生活の中に生きてくれることを期待したい。皆様の温かいご声援をいつまでも心の糧にして、努力していける人間になっていきたい。」

最後の一文は、部員に対してではなく、ご自身の決意を書かれるところが、勝沢先生の凄さです。(西野宏治先生)